大判例

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仙台高等裁判所 昭和56年(ラ)35号 決定 1981年8月10日

抗告人

青柳一男

右代理人

三竹厚行

主文

本件抗告を却下する。

理由

本件抗告の趣旨は、「原審判を取消す。福島家庭裁判所相馬支部昭和五〇年(家)第八五号遺留分放棄許可申立事件について、同裁判所が同年三月二七日になした許可の審判を取消す。」との決定を求めるというものであり、その理由とするところは末尾添付の「即時抗告の理由書」記載のとおりである。

よつて審按するに、原審判の理由欄に摘記されたところによれば、原審判の申立人である抗告人の申立の理由は次のとおりである。

1  被相続人青柳祐司、同人妻サク子の間には、抗告人及び矢部登美子、麻生房枝、喜々津芳枝の四人の子がいたが、昭和四九年一一月三日サク子が死亡し、被相続人の老後の面倒を誰がみるかで相続人間で協議が行われ、その結果当時横浜に住んでいた喜々津芳枝がその夫と共に伊勢原市の被相続人の住所に移り、被相続人が死亡するまで、その面倒をみることとなつた。

2  そして、喜々津芳枝以外の相続人である抗告人及び矢部登美子、麻生房枝は遺留分を放棄することとし、当時、福島県原町市に居住していた抗告人は福島家庭裁判所相馬支部に遺留分放棄許可の申立(同庁昭和五〇年(家)第八五号)をなし、同年三月二七日許可の審判がなされ、被相続人は昭和五〇年六月一九日「その所有する全財産を喜々津芳枝に相続させる」旨の公正証書遺言をした。

3  芳枝夫婦は昭和五〇年四月伊勢原市の被相続人方に移り被相続人と同居するようになつたが、同居生活は結局破綻し、昭和五一年八月、芳枝夫婦は被相続人方を出て横須賀市に転居した。

4  そこで、再度、相続人らの間で協議した結果、抗告人夫婦が被相続人と同居して面倒をみることになり、昭和五一年八月、抗告人は当時居住していた秦野市戸川の土地建物を売却処分して被相続人方に転居した。

5  昭和五三年三月二七日被相続人は死亡し、相続財産として伊勢原市田中八九五番の宅地及び建物(時価約五〇〇〇万円)が残された。

6  抗告人が遺留分を放棄したのは、芳枝が被相続人の死亡に至るまで被相続人と同居してその面倒をみることを前提としていたのに、事情が変更し、遺留分を放棄する理由はなくなつたから、前記遺留分放棄許可審判の取消を求める。

以上の申立の理由に対し、原審判は、事実の調査に基づき、おおむね申立の理由とする事実を認めることができるとしたうえ、「抗告人が相続開始前に本件遺留分放棄をするに至つた前提事実関係が変更したことは明らかで、本件遺留分放棄の許可は実情に適しなくなつたということができる。」としながら、「すでに相続が開始された現在において、本件遺留分放棄の取消を認めることは、徒らに権利関係に無用な混乱を生じさせる結果となるので、その取消を求めることは許されないものと解すべきである。」として抗告人の申立を却下したものである。

遺留分権は遺留分権利者の個人的財産権であり、相続開始の前後を問わず、これを放棄することは、本来自由であるべきである。しかるに相続開始前の遺留分放棄につき家庭裁判所の許可を必要としたのは、被相続人が遺留分権利者に放棄を強要したり、その他相続法の理念に反するような手段に利用されることを防ぐためである。家庭裁判所は、遺留分権利者の放棄の意思を確認するだけでなく、放棄が合理的かつ相当なものかどうか、諸般の事情を慎重に考慮検討して許否の判断するのである。これに対し、相続開始後の遺留分放棄は遺留分権の不行使と等しく、家庭裁判所の許可を必要とする理由はない。

相続開始前における遺留分放棄は、相続財産を相続人の一人に集中させたいとする被相続人の希望に答えることを基礎においており、均分相続の理想に矛盾するものであるから、遺留分放棄が許可されたのちにおいても、これが許可を相当とすべき前提事実が変更したときは、これを維持しておく理由はない。すでに相続が開始された場合でも、同じである。

一般に、家事審判は家庭に関する諸事項を合目的的に処理することを内容とするから、客観的事態の推移によつてその審判を存続せしめておくのが不適当と認められるに至つた場合には、即時抗告をすることができるなど特別の規定がない審判については非訟事件手続法第一九条一項の準用により、家庭裁判所はこれを取消または変更することができると解すべきであり、その時期については特にこれを制限する規定がないことに徴し、その必要が存する限り原則として何時でもこれをなしうるというべきである。

しかして、前記申立の理由たる事実によれば、抗告人の遺留分放棄の許可につき、その前提となつた事情が相続開始前において変つているのであるから、右許可の審判は、他に特段の事情のないかぎり、これを存続させるべき理由はないと思われる。もとより遺言の効力発生後に抗告人の遺留分放棄が取消され遺留分権が行使された場合には、すでに生じた権利関係に影響するのは自明であるが、本件の場合は抗告人らの遺留分権が行使されれば、取戻された財産につき共同相続人間で遺産分割の協議をするか、その審判を受けなければならなくなるというだけのことである。また、遺留分減殺を受けるべき財産が他人に譲り渡された場合であつても、譲受人が譲渡の当時遺留分権利者に損害を加えることを知らなかつたときは、その者は減殺を受けることはないのであるから、第三者との関係で無用な混乱が生ずることは考えられない。

しかしながら非訟事件手続法一九条一項は、裁判所が、そのなした裁判を不当と認めるとき、自らこれを取消し又は変更するについての規定であり、事件の関係人にその取消又は変更の申立権を認めたものではないから、抗告人の本件申立も原裁判所に職権の発動を促す以上のものではなく、原審判が右申立を容れなかつた以上、抗告人としては再度同旨の申立をして職権の発動を促すのはともかく、本件の如き「即時抗告」はもとより、非訟事件手続法二〇条に基づく抗告もなしえないというべきである。

よつて、本件抗告は不適法であるからこれを却下することとし、主文のとおり決定する。

(田中恒朗 佐藤貞二 小林啓二)

〔即時抗告の理由書〕

一 原審裁判所は法令の解釈適用を誤つている。

(一) 遺留分放棄許可の審判の覇束力(ないし自己拘束性)は確定的なものではない。

(二) 家事審判については、特別の規定ない限り非訟事件手続法第一編の規定が準用される(家事審判法七条)。家事審判の取消し、変更の可否についても特別の規定なき限りは非訟事件手続法一九条の準用がある(法律学全集・家事審判法・山木戸克己四七頁以下)。従つて即時抗告をなしうる家事審判は別であるが(非訟事件手続法一九条三項)、そうでない家事審判については、客観的事態の推移によつて、その審判を存続せしめておくのが不当と認められる場合(非訟事件手続法一九条一項)はこれを取消し、変更することが許される(前掲・山木戸克己・四九頁)。

(三) 遺留分放棄許可の審判に対しては即時抗告をなし得ない。

また家事審判法等において遺留分放棄許可審判の取消し変更を認めない趣旨の規定は存しない。

従つて、遺留分放棄許可審判については審判の後客観的事態の推移により審判を存続させておくことが不当と認められる場合には、審判の取消し変更が許されるべきである(この点につき注釈民法(26)四一〇頁)。

現に遺留分放棄の許可審判について、許可審判を取消した審判例が存する(東家審昭四四・一〇・二三家裁月報二二・六・九六)。

(四) 以上のとおり審判手続として遺留分放棄許可の審判の取消を求める審判の申立ては適法になしうるものである。

原裁判所が、申立却下の理由として挙げている理由は抽象的にすぎるが、右が本件申立てを不適法とする趣旨であれば、家事審判法七条、非訟事件手続法一九条の解釈適用を誤つた違法がある。

(五) 右のとおり遺留分放棄許可審判の後、客観的事態の推移等により「其の裁判を不当と認めるとき」(非訟事件手続法一九条一項)は、遺留分放棄許可審判は取消しないし変更されるべきである。

原審裁判所も横浜家庭裁判所小田原支部調査官に調査を委託する等して事実調査をなしたうえ、「上記認定事実によれば申立人(抗告人)にとつて、申立人が相続開始前に本件遺留分放棄をするに至つた前提事実関係が変更したことは明らかであつて本件遺留分放棄の許可は実情に即しなくなつたということができる」と、原審裁判所自ら遺留分放棄許可審判を存続させておくことを「不当と認め」たのである。

にもかかわらず、遺留分放棄許可の審判の取消しを認めなかつた原審裁判所の審判には理由齟齬があり、審判の取消し、変更の可否についての裁量権(確かに、審判を取消すかどうかは裁判所の裁量にかかる訳であるが)の範囲を逸脱した違法がある。

二 原裁判所の審判は不当である。

(一) 現在、被相続人について相続が開始されているが、右相続についての協議の中で抗告人の権利主張が遺留分放棄許可審判のあることを理由として他の相続人に受け入れられていないからこそ本申立に及んでいるのである。

(二) これを、「権利関係に無用の混乱を生じさせる」として申立却下した原審裁判所は、家庭事件について、家庭裁判所が後見的機能を有していることを没却している点で家事審判法一条の趣旨にも反し不当である。遺留分放棄許可審判が存しても、他の相続人がそれを度外視して申立人を協議の場に入れるのであれば何の問題も存しない。右が受け入れていないからこそ、許可審判の取消をなす必要が存するのである。

(三) 本件において遺留分放棄許可審判の取消が認められなければ申立人(抗告人)は現在、家族と共に居住する家屋から立退かざるを得ず、生活が破壊されるおそれもある。

三 以上のとおり原裁判所の判断は、法令違背を含む不当なものであるのでその破棄を求める。

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